多趣味人ブログ

カメラ、車、サバゲーなど、多趣味な管理人によるブログです。

人生どこかで苦労しなければならない

最近思うのは、人生どこかで苦労しなければならないということだ。

余程金持ちの家庭であれば話は別かもしれない。

しかし、一般的な家庭であれば、普通に高校もしくは大学をでて、就職活動をし、就職をするという流れを経て、働き、老いて死んでゆく。

人は誰しも苦労はしたくない。楽な方へと流されて生きて生きたいのが本望だろう。しかし、残念なことに世の中そうはできていないのだ。

大学受験が嫌だから高校出て、手頃な就職先で働いたとしても、所得が低いか、危険の伴う仕事に就いたり、やりたい仕事に就けないかもしれない。そこから再起を図ろうにも、すでに手遅れだったり、多大なる苦労を伴うことになるかもしれない。

しかし、大学受験をこなし、大学を出て、本気で就職活動をすれば、やりたい仕事に就けるかもしれないし、所得も増え、世間体もいい仕事につける可能性は高くなる。

初めは楽をして、苦労をしたくない選択をしても、後々苦労をする結果になるのだ。そして、その苦労は若いうちにしておいた方がその後の人生に作用する力は大きい。

もちろん家庭の経済状況などでそれが叶わない場合もあるけれど、しかしそれでも全く可能性が閉ざされている訳では無い。高校に行って、必死に真面目に勉強して、推薦なりで大学に行き、給付型の奨学金をもらいながら卒業して、大手企業に就職するという可能性もあるのだ。

自分は大学を出て、それなりの所には就職出来たと思っている。しかし、その結果は妥協の産物でもあると考えており、そもそも高校時点で数学が嫌いだからと文系を選ばず理系に行っていれば、理系の大学に行き、専門性を活かした就職が出来、やりがいのある仕事に就けたかもしれない。そうでなくとも、もっと就職活動に力を入れていればよかったとかという後悔は尽きないものだ。結局これらは自分自身がどこかで妥協してしまい、嫌なことから逃げてしまった結果なのだ。そして、これを実感するのは、既に手遅れになってからである。ここから例えば理系の大学に行って工学などを学び、理系として就職し直すとなると、一体何年かかるのか。おそらく30代になっているだろうし、高校現役生から始めるのでは苦労は比にならないだろう。現実的では無い。逃げているじゃないかと思われるかもしれないが、社会人になってしまえば生活のために働かなければならないし、そうなるとなかなかこう言った選択は難しい。だからこそ、若いうちに苦労から目を逸らさずに取り組むべきなのだ。

日本はある程度自由に人生の選択ができる国だ。しかし、自由というのは責任が伴うものだ。10代の学生の頃の選択の責任を、社会人になった20代以降に取らされるのは、なかなか恐ろしいものがある。

もし何かのきっかけでこの記事を見た若者がいたならば、その選択で本当にいいのかということを改めてよく考えて欲しい。人生は長い。妥協した結果で80年も生きるのは、つまらないものだ。