多趣味人ブログ

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桧原湖の下に眠るもの

 福島県を代表する山といえば磐梯山だが、この磐梯山にまつわる悲劇の歴史を感じられる場所がある。

 磐梯山といえば、福島県の中部に位置する山であり、スキー場も多く冬には多くのスキー客が訪れる。また、会津地方、猪苗代、磐梯町といった地域からはどこからも眺めることができ、福島県民にとってはもっとも馴染みのある山ではないだろうか。しかし、この磐梯山は活火山であり、そして明治の時代に、山体崩壊を伴う噴火を起こしているだ。

 1888年7月15日、水蒸気爆発を伴う噴火を、磐梯山は起こした。この噴火で山体崩壊が起き、岩屑なだれが集落を飲み込み、河川をせき止める結果となった。これにより、死者は477人。明治以降の日本の火山災害で最も多い犠牲者を出したものになります。この災害では日本赤十字社の救援活動やボランティア活動などが日本で初めて行われた災害であったとされるが、日本史に残る巨大災害であったと言える。

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 磐梯山には表磐梯という姿と裏磐梯という姿があり、上の2つは裏磐梯の写真。表磐梯では、山体の整った景色を見せてくれるが、一方で裏磐梯では、山体崩壊の跡が荒々しく見て取れる。これほどまでの噴火が起こったのだ。

 この被害は宿場町をも飲み込んだ。噴火によって発生した岩屑なだれは長瀬川とその支流をせき止め、やがて川の水が溢れかえり、裏磐梯に湖を形成することになった。そして、その中でも最も大きなものが桧原湖である。ここにはそれ以前には桧原宿という宿場町が存在していた。しかし、この宿場町は桧原湖の底に沈んでいくことになった。多くの犠牲を出したということだが、今でもその名残を残している場所がある。

 大山祇神社という北麓にある神社だけが湖面より高い位置にあり、水没を免れたのだ。

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そして、この神社の境内と鳥居が、新しく建造されたものであるものの、見ることができるのである。鳥居から湖面に向かって連なる雪の塊は参道に合った木々の切り株。そして、この先の湖底には、今なお水没した鳥居が残っているのです。そして、冬になり湖面が凍結する時期になると、その頭の部分が姿を表します。

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桧原湖の水量の少ない時期でなければ当時の遺物を見ることはできませんが、それでも磐梯山の歴史と浪漫を感じられる不思議な場所です。この下に、宿場町が沈んでいったのかと思うと感慨深いです。今やレジャーの地となっている裏磐梯ですが、その成り立ちには悲劇的な歴史があるということを感じてほしいと思います。